ブログの移転について 全般 2018年10月09日 このブログをご覧くださっている方がどのくらいいらっしゃるかというと心もとないのですが、当ブログは下記に移転することとしました。 はてなブログ「しんめい舎書庫」 https://neoshintoism.hatenablog.com/ 理由は同「旧ブログからの移転について」にて記した通りです。 引き続きご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。 PR
緒言 全般 2017年09月13日 現代神道の行方を考える。どのような形であれ、これをライフワークとしていきたいという思いを強くしている。 「現代神道」という観点から見たとき、2016年は非常に面白い年であった。 また改めて論考を深めたいと考えているが、昨年12月のコミックマーケット91で発行した東京大学神社研究会会誌『千五百秋 増刊第二号』にて、私は「独断と偏見で選ぶ、神道版2016年新語・流行語大賞」と称し、以下のような話題を取り上げた。括弧内は主に話題になった時期と、簡単な内容である。 「縄文的な力強い祝祭の場」(2015年12月、新国立競技場について) 「改憲署名」(2016年1月、神社における署名の呼びかけについて) 「巫女さんのくせに何だと思った」(2016年3月、大西議員の問題発言について) 「株式会社心」(2016年4月、企業における「敬神崇祖」について) 「熊本地震」(2016年4月、阿蘇神社について) 「日本会議」(2016年4月、「日本会議」論ブームについて) 「伊勢志摩サミット」(2016年5月、首脳陣の神宮参拝について) 「鎮守の森のプロジェクト」(2016年7月、現代神道における「森」について) 「神武天皇は実在の人物」(2016年7月、三原じゅん子議員の発言について) 「ヤシオリ作戦」(2016年7月、『シン・ゴジラ』について) 「生前退位」(2016年7月、今上天皇の退位報道について) 「日本の神道思想が反映されている」(2016年8月、ポケモンGOとイスラームについて) 「臨床宗教師」(2016年8月、神道との関わりを述べた論文について) 「ムスビ」(2016年8月、『君の名は。』について) 「装神少女まとい」(2016年10月、深夜アニメについて) 「賊軍合祀」(2016年10月、亀井議員らの靖国への申し入れについて) 「山・鉾・屋台行事」(2016年10月、無形文化遺産への登録について) 「賭博は持統天皇以来禁止」(2016年12月、共産党と天皇制について) 「神さまは金属アレルギー」(2016年12月、参拝マナーとスピリチュアリティについて) それでは、今年も同じような記事を書くとしたらどのような内容となるだろうか。思いつくものを挙げてみよう。 「ソフィア稲荷」(2017年1月、上智大学内に発生した小祠について) 「神道の小学校」(2017年2月、森友学園系列の瑞穂の國記念小學院について) 「銀座恋神社」(2017年2月、検見川神社の分祀について) 「君のまなざし」(2017年5月、幸福の科学の映画について) 「贈与税」(2017年6月、三種の神器の継承が非課税とされたことについて) 「秋葉原神社」(2017年6月、平安教団の同施設が閉鎖されたことについて) 「神宿る島」(2017年7月、宗像・沖ノ島の世界遺産登録について) 「パンダ神職」(2017年7月、有鹿神社の神職について) 「繭気属性」(2017年9月、「あなたの神社属性診断」について) 「本庁離脱」(2017年9月、週刊ポストの報道について) 「社にほへと」(2017年9月、開発中止の正式発表について) 「改憲署名」「日本会議」「生前退位」といったような2016年の話題ともかかわりが深いことがわかるだろう。8月には『靖国神社が消える日』も刊行されており、「賊軍合祀」との関連も視野に入れてとらえていく必要がある。 今年もできればこれらを会誌の記事としてまとめていきたいところだが、卒論や院試もあるため早めに準備を行っていくのがよさそうである。そのため、このブログを用いて各論の記事を上げていき、できたものを印刷物にまとめたい。 2016年は、神社本庁の設立から70年という節目の年でもあった。神社本庁は、「敬神生活の綱領」「神社本庁憲章」を制定したとはいえ「無教義主義」を採用している。神社新報社『神道指令と戦後の神道』後半には、岸本英夫や葦津珍彦らの座談会記事が載っているが、ここに、〔記・紀の新約は考へられるか〕という節がある。葦津は、本庁はこの「新約」を作らずに各個人が新約を作れるような下地を作っておくべきだ、という趣旨のことを言っているが、現代はまさに様々な神道の「新約」が生み出されている時代なのではないだろうか。 神道における「新約」とは何か。それは究極の課題としてあり続けている。神道の定義を絞りすぎることなく、伝統に固執することなく、無下に否定を行うことなく、幅広く現代神道の世界を探っていきたい。 このブログでは今後、「現代神道を考える」と称して上記の出来事について短評を書いていく。取り上げる順番は適宜変わり、また、多くは論点の整理と問題の定期に留まるかと思う。というより、それすらもまともにできる力量があるか定かではない。お赦し願いたい。 他には、近代神道研究に関する覚書や、神道系同人誌のレビューなども適宜載せていく予定である。どうぞお付き合いください。